更新しようしようと思って中々書く余裕がありませんでした。

 よく入会のお問合せや、体験レッスンに来てくれる子、またグレーゾーンの子でADHDと診断されているけどレッスン出来ますか? という問い合わせがきます。
 また、体験レッスン後では「レッスンにならない」と思って入会に至らないケースも多いのがこの症状の子どもたちです。背景には保護者の障害による理解が不足していたり、理想が高く現実と向き合えないことが根底にあり、体験レッスンだけでは時間が足りずケアが出来ない事を痛感します。

 ADHDは多動・衝動優勢型、不注意優勢型、混合型と個人差もある発達障害の一つです。
 子どもたちだけではなく、昨今では大人のADHDも問題視され、私の夫もADHDです。
 6年前になりますが夫に発達検査を受けてもらい、診断としては障害認定はされず、いわゆるグレーゾーンでした。大人の場合、社会に出てお金を稼ぐ能力があれば全てグレーゾーンと診断されます。ただし、社会ではそうであっても家庭では立派な障害となります。
 夫の場合、本人に障害を理解しようとも改善する気もなく、これまでも何度も離婚について話し合う事がありました。恥ずかしながら夫が今後も多額の借金など抱えた場合、ADHDだから仕方ないという理由ではなく己の障害と向き合う事をしなかった人間性に落ち度があったとして、離婚をするつもりです。

 さて、そんな私のドロドロした家庭事情はさておき。

 ADHDという障害は他人をも巻き込んだ影響力の強い個性で、出来る限り本人が障害と向き合って理解しながら付き合わねば、社会から見放されてしまう個性です。
 健常者から見ると、ADHDの人は自己中心的であり、思いやりがなく、自分勝手、計画性がなく行き当たりばったり、忘れ物が多い、約束を守れない、後先を考えないと傍迷惑極まりないものです。
 子どものうちは個性のままで育ちますが、大人になってもそのままならどうなると思いますか?
 社会で働くようになれば、勤め先での出社時間に遅刻する、取引先とのアポや大事な資料を忘れる、注文通りに仕事が仕上げられない、依頼をいくつも同時にできないなど問題が起こります。
 家庭ではお金を持たせたらすぐ使うどころか、借金までする、使ったものを戻すなど片づけられずゴミ屋敷になる、火を使っている所から離れて用を済ませると火消しを忘れて火事騒ぎになるなど。
 現実に困っている人は大勢います。


 もしお子様にADHDがあった場合、親としてどうしてあげたら良かったかと考えられますか?
 真剣に向き合える親御さんは、ADHDについて勉強をしたり支援をしたり療育を検討するでしょう。
 ところが、本人の問題として突き放してしまう親、何も支援をせず育児放棄したり虐待してしまう親も居ます。
 とても可哀想なことだと思いますが、ADHDの子たちは一時も目を離すことが出来ず、日々育児に向かう親は疲弊しています。何故この子は普通と違うのだろう? 何故何度も同じ事を繰り返すのだろう? 何故親を困らせるのだろう?
 支援センターに育児相談をしてアドバイスは貰うけど一時的によくなるだけで、すぐ逆戻りしてしまう。アドバイスには自分に余裕を持てって言うけど余裕なんてない。そんなに簡単に言うなら一か月、一週間、一日でもこの子を預かってみて欲しいとさえ思ってしまいます。
 幼保園や学校の先生からも心無い言葉をかけられることもあります。*後述します。
 当事者にしかわからない悩みが積もっています。

 では音楽教室にADHDの子にレッスンを受けさせる意味は何だろう。子どもが楽器を触っている時は大人しく活動してて、レッスンなら30分でも子どもから離れられるし、集中力をつけるには良いんじゃないか。そう考えてこられる方がほとんどです。
 そして体験レッスンに来られた方が、私からの言葉でレッスンを受けるか、辞めるかの判断を迫られます。

 私は体験レッスンで、親の希望で習いに来た子には必ず言います。
「本人が音楽を習いたいと希望していますか? そうでなくても習わせたいなら、楽器や環境を用意して家での練習をサポートできますか?」
 これは発達障害関係なく問いかけています。
 竹成音楽教室では習う本人が本気で習いたい子、療育ケアに積極的な子を指導していて、それが私が理想とする音楽教室で、今まで私が学んできて仕事にした事だからです。
 自宅での教室を開業する前は事務所に所属した一講師でしたが、そこで教えられる私の理想とする音楽教育は出来ませんでした。パワハラによる仮面うつ病も患い、自宅で開業することで理想の音楽教育を提供したかったんです。
 生徒は講師を選べますし、講師側にも生徒を選ぶ権利はあります。
 だから私は本気で習いたい生徒さん、ケアが必要な生徒さんに、自分が持てる技術で生徒さんと向き合って対価を得ることにしました。

 音楽教室は託児ではありません。
 1:1でレッスン出来る子もいれば、親と一緒にレッスンを受けている子もいます。レッスン内では、生徒さんに合わせたレッスンなので、どんどんピアノテキストを進めるわけでもないし、ピアノと関係あるの? という活動をすることもあります。
 講師の指示が全く通らないから、この先生じゃダメだと思うかもしれません。
 でも何故指示が通らないのか、視覚優位なのか聴覚優位なのか判断しています。
 そして音楽教室にはわざと子どもたちが気になる物が置いてあります。何に興味を示して、どんな活動がこの子に合うのか、衝動性はどれぐらいなのかも見ています。
 譜読みがいつまでたっても読めないのは何故なのか。時には生徒本人にとってピアノの譜読みは嫌いなのに習わせられている、本当は辞めたいのに親に行かされている子もいます。そういった子どもたちの様子も見破って進級時やタイミングを見て音楽教室以外の興味のある習い事を進める事もあります。

 ADHDの子に限らず、ピアノは続く子と続かない子ではっきりと分かれます。
 続かない理由は「練習が面倒くさい」からです。練習すれば弾けるのはわかる、でも練習する時間があるならゲームやお友達と遊びたい。そういった思いは誰もが持ちます。
 続く子は「練習して弾ける達成感」があり、練習も楽しい時間と思える。つまり弾けなくても楽しいと思えるのです。音の出し方、聞こえ方、昨日できなかったけど今日出来て吃驚したなど。
 ピアノは指先の運動ですからある種の体育会系です。指先を動かすスポーツだと思えばどうでしょうか? 練習が苦痛だったり楽しくない思いをしている子どもたちに、無理に習わせているのは何のためでしょうか?

 ピアノさえ習っていれば、頭が良くなると脳科学者が仰っています。
 確かに、ピアノは脳の働きをフル回転させないといけないし、算数の知識を高めたり、言語にも影響したり、感受性も豊かになります。現に私の生徒でもピアノを弾いている子で県立でトップの高校に入学した子も居て両立出来て凄いなと思いました。
 しかし、全員がそうとも限らないし興味が向くかも子どもたち次第です。
 コツコツ計画性を立てて地道にやる……というのは特にADHDの子たちは苦手としています。なので、毎日練習することがいかに大変か、だが弾けるようになるには練習がいかに大切か、練習できる環境にするにはどうしたら良いかを、学ばなければなりません。
 そしてそれは子どもたち本人だけでは出来ず、サポートする親が必要なのです。

 そんな話を体験レッスンですると、お子様の習い事に対する目的を考え直してもらう機会になり、入会しなかったとしても、お子様と向き合うことが出来る体験レッスンであったと願いたいです。
 竹成音楽教室にきているADHDの生徒さんは、皆さんピアノが大好きです。自分が好きな曲を耳コピーして弾いてきたり、譜読みが出来るか心配だったけどスモールステップで少しずつ覚えています。
 時々違うことしたくて脱線もするけど、30分で終わるレッスン時間を守っているし、片付けたり、苦手な活動も自分たちのペースで取り組んでいます。日々サポートして関わる保護者さんのお陰です。

 *前半で心無い言葉をかけられることがあると書きました。
 ある生徒さんの学校の先生から、ADHDの薬の検討を助言されたとのことでした。
 私はこの話を聞いて憤慨してしまい、絶対に薬を検討すべき事ではないですと伝えました。
 学校の先生でさえ、ADHDというだけで薬で何とかなると思うなんて……とんでもないことです。
 車道に飛び出してしまう衝動性が高い場合や子どもの命に係わること、本人がとても困っていて生活しにくいことでADHDの薬服用を検討する事はありますが、薬を飲んだから治るというものでもありません。
 学校の先生は子どもの扱いに慣れていると思われがちですが、果たしてどこまで発達障害について勉強しているかも不透明です。
 私が児童発達支援士と発達障害コミュニケーションサポーターの資格を取ったとき、学校の先生で資格を取った人とZOOMで意見交換会に参加したことがありますが、学校の先生でもこういった支援をする勉強をする人は稀だと聞きました。
 日々忙しいのだから仕方ないことかもしれない、それでも信用できないと思われる所以が根底にあります。私自身も自分が学生時代の教師には嫌な思い出があったので、絶対に学校の先生にはならず1:1で関わって支援したいと思いました。

 まだまだADHDには偏見もあるし、保護者や配偶者、サポートする家族のカサンドラ症候群のケアも重要です。私も毎日抗うつ薬を2種類飲んで戦っています。終わりが見えません。
 でも、どうにか一日を過ごして子どものためには何が出来るのか考えます。
 我が家の息子は夫に似ずADHDではないですが、ASDのグレーゾーンなのでより良い選択をしたいと思っています。
 頑張りすぎず、諦めず、息子と向き合う時間を大切にしたいと思います。