今日は発達障害の子どもたちやグレーゾーンの子たちではなく、普通の子どもたちなんだけど、どうしたら良いか悩むタイプの子たちのお話しをしたいと思います。

 竹成音楽教室では、生徒と先生の1:1レッスンか、保護者+生徒の2:1、または兄弟生徒2:1という少人数のレッスンをしています。
 概ね、集団行動ではないため、グループ活動が苦手でも、一人ひとりの進度に寄り添って学習できる利点があります。
 発達障害の子どもたちと触れ合うことも多いため、私自身も児童発達支援士の資格や、発達障害コミュニケーションサポーターの資格、その他の場面緘黙症や子どもの心理学の本を読み漁って、今日の音楽指導に活かしてきました。
 そういった職業病というのもあるのか、生徒や他人の性格・感情・行動からどんなタイプの人間なのかを脳内で分析して、対応を変えるようにもなりました。
 うちの音楽教室はグーグルマップには載ってないし、レビューみたいなものはありませんが、もしレビューがつけられるものだったら、☆の振り幅が大きいだろうなと思います。

 レッスンの始めは、生徒たちは猫をかぶっている子もいれば、素のままの子、一貫してマイワールドを展開している子などに分けられます。
 概ね半年もすれば、生徒たちは教室にも慣れて日常会話を出来たり、場面緘黙の子でもイエス・ノーや指差しによる表現が出来ます。
 生徒たちの性格にはいろいろなパターンがありますが、親御さんの前と、そうでない時との差がすごくある子も居ます。こういったタイプはとても注意深く見ています。
 場面緘黙症の子たちも、このタイプに当てはまりますが、もう1タイプあるのが「天邪鬼タイプ」です。

 竹成音楽教室でも数人の子が当てはまりますが、保護者さんたちが送迎時に疲れた顔をしているのを見ると、お家でも大変なんだろうなぁと思います。
 天邪鬼タイプの子は、「やれば出来るのに……」「褒めないと伸びない」「何故同じミスや経験をするのだろう」「中々言うことを聞いてくれない」「好きなことだと物凄くハマるが、冷めるのも早い」「気分を害すと引きずる」といった典型的な特徴があります。
 育児書などでは、育てにくいとか、HSPに当てはまってるかもしれないとか、ADHDに近いのではないかと逡巡するぐらい、見極めも難しいタイプです。

 私はどう思っているかというと、大人になる過程で「他人に迷惑をかけない」「自己管理が出来る」「他人を思いやる心がある」この3点が成長していけば、概ね心配はいらない性格だと思っています。
 でもこの3点って、子どもならまだ出来なくても、うまくいかなくても仕方ないって思いませんか?
 ついつい叱ってしまうことが多いけれど、このタイプの子たちは普通の子たちよりも注意を沢山されて身につけるまで、時間がかかってしまう子だと思えば、少しは気が楽になると思いますがいかがでしょうか?

 日本の教育は全て横並びで、一定の基準が満たされてないと問題児扱いされてしまうけど、そうでないことも沢山ある。
 特にこの天邪鬼タイプの子たちは別のベクトルから剛速球投げてきたように、凝り固まった大人の観点をぶっ壊しにきます。
 それこそうちの教室では、備品を触りまくったり、指示と違うオリジナルを出してきたり、勝手に作曲してたりとやりたい放題なんですが、意外にもその子がやったオリジナルの方が良い結果が出たり、作曲がいい感じだったり、テキストより難しい作曲で弾いて技術上げてたりといいうのがある。
 生活の中では決められたルールから外れてしまうから、これが中々認めるというのが難しい。
 音楽教室だと備品を触ったりしてほしくないから注意を何度も言うことになる。
 この注意を何度もしないといけないのが保護者にとって「イライラする」ポイントなんだと思う。
 怒りのコントロールとして「6秒数える」とか、「別の部屋で一人になる」とか、育児書には紹介されていることが多いが、概ねこの通りにはいかない。
 そもそも、6秒数えさせてもくれいないし、一人にもなれない状況が殆どだ。
 それはレッスン内でも同じなので、「イライラしないんですか?」と聞かれたりするが、これが私の性格なのか「(子どもに対して)イライラしない」のである。

 別に怒りのコントロールを身に着けたわけでもないし、瞑想したり、宗教的なことをしてることもない。
 何故イライラしないのかと言えば、先ほど挙げたように子どもの心理分析や発達の仕方を学ぶと、イライラしても仕方ないと思えるし、この子はこういうタイプだから、改善していける言葉がけはどうしたら良いか、どのように伝えたら伝わるか……という事を考えている。
 つまり、自分の心がイライラする前に、向き合っている生徒がどういう思いでこちらに訴えているのかと冷静に分析してしまうからだと思う。
 これは本当に職業病で、何十・何百人もの子供であったり、最もコミュニケーションがとりづらい発達障害の子たちと触れ合ってきた中で構築された私なりのスキルなんだと思う。

 例えば多くの家庭で問題になる嫁姑問題で、姑が「子どもの育て方は……」云々、「昔の子どもなら」云々ですごく問題になっていると思うが、子どもの育ち方を通してみている機会は自分の経験として数件と比べてのことだ。
 また例えば保育士や学校の先生であっても、対象の一定期間しか見ていないから、継続的な育ち方を見てはいない。
 でもピアノ講師のように習い事は長期間の人間を見ていて、それこそ5歳から見てた子が、20歳の成人式の年賀はがきでやりとりしたりというぐらい、大人になるまでの人間形成の一部始終を見ていることになる。
 私自身も先日、自分の先生と「もう先生と出会って30年だよ」って言ってて、私の第二の母ぐらい人生の中での影響をくれた先生だと思っている。それぐらい、ピアノ講師って特別な先生になることもある。

 そう思うと、今いる生徒が多少手がかかって天邪鬼なことを言ったり、行動したりしても「はいはい、じゃあここは君が思うようにしよう。でもこっちは譲れないルールがあるから無理だよ」と主張の取捨選択をしたり、恐らくプランAではなくプランB、プランCまで作っておいて、当日どれになっても良いように前もって準備したりするようになった。
 子育てに於いては、取捨選択やプランCまで用意するのは大変かもしれないけど、育てにくいタイプの子どもたちに対してどうしたら良いか悩む場合はご相談ください。
 特にピアノに対しては、練習を嫌がったり、気分でするしない、曲が気に入らないという、大人では「そんなことで?」と思うことが原因で「ピアノ嫌い」になってしまう。
 色々な理由でピアノ教室を辞めることにはなるのだけど、「教室が嫌い」という理由で辞めた人は少ないので、子どもたちの性格にあった練習方法や言葉がけを、これからも見つけられるように勉強していきます。